1. HOME
  2. 特に読んでほしいコラム・雑談
  3. ひとこと小耳
  4. ひとこと小耳にシリーズ1

コラム・雑談など

コラム・雑談など

ひとこと小耳

ひとこと小耳にシリーズ1

自分が一番頼りになる

町を歩けば言葉だらけ。メールの交信は文字だらけ。使い方を間違えれば誤解だらけ。疲れます。テレビの情報も、視聴率を気にするあまり、真実よりもウケねらいです。カタカナも多すぎます。マーケティングも、イノベーションという言葉も、日本人は、お互い同じ情景を描きながら討論しているのでしょうか。 孔子が整理した、易経には、こんな言葉があります。

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」

大昔、お釈迦様も疲れました。お釈迦様は、舎利くんに声をかけました。「舎利くんは今度勉強に行くと聞いたが」「はい、菩薩様に般若(知恵)を学びに行きます」 「そうか、それは良い。しかし、菩薩とは名前だけ、般若とは言葉だけということを知りなさい」と。言葉に惑わされるなと、いう意味です。仏教の難しい言葉は、後世の僧侶たちによって作られたもので、お釈迦様は、むしろ話し言葉、それにたとえ話が多かったと聞きます。

本音を語らない人間関係も寂しいですね。沢庵禅師の言葉です。「心こそ心惑わす心なり、心に心心許すな」。沢庵禅師は、柳生宗矩や徳川家光の心の師匠だった人です。

お釈迦様は、考え尽くした結果、生きる道には、二つの灯明が灯っている。「法灯明」と「自灯明」であると。 法灯明とは、大切な情報は、真実しかない。

自灯明とは、自分しか信用できないという意味です。禅宗では、もっときついです。「門より入るものは家珍にあらず」。人から聞いた話は、あなた固有の知識(家珍)にはならない。あなたが体験し、失敗し、気づいた言葉が、あなたのための知識だというのです。相手の身分も、学歴は関係ありません。私は、人の話は、自分が何かに気づくためのヒントと考え、興味深く聴きます。そして、自分の言葉に置き換えて考えることにしています。

お釈迦様の華厳経も、宮本武蔵の著書の「五輪書」も、文末には「よくよく自分で吟味しなさい」と書いてあります。言葉で伝える難しさを知っていたからと思います。ということで、自分の人生の行方も、心の中にいる本当の自分と相談して、決めたいものだと考えています。そして、誰のせいでもなく、のびのびと生きたいものだと考えています。

令和5年睦月満月